個人的に思うことがあり袴田事件を深掘りしてみたい。1966年、一家4人殺人・放火の凄惨な事件発生から今日まで58年。手弁当のボランティア弁護団が捜査機関の積み上げた立証を執念で打ち崩して勝ち取った袴田巌さんの無罪判決。警察の秘匿とした証拠品や出し渋っていた事件資料等は600点。袴田さんが犯人である前提で逮捕した静岡県警の傲慢な見込捜査は違法なものであり、そしりは免れない。静岡県警はそれまで過去、何度も重大な冤罪事件を生んでいる。何故か。冤罪を生みかねない捜査手法の土壌が昭和60年代まであったためだと言う。袴田事件もそんな黒い土壌に巻き込まれた悲劇の事件だ。当時、結託した検察とは言わば、同じ穴の狢(むじな)だ。
読売・朝日・毎日新聞の各社は警察情報からのいち早いリークに躍起となって報道合戦は熾烈を極めた。逮捕前からの犯人視は過熱、当然起訴、裁判も行われていないので容疑者扱いはされているが犯人たる被告人ではない。これスクープとばかりに商魂むき出しの記事には倫理観など皆無に等しい。
起訴に持ち込むべくストーリーを成り立たせるためには自白の供述を何が何でもとらなければならない。過酷極まり無い調べは、うだる猛暑の取調室の中で連日、約15時間。手洗いなどは許されず暴言や脅し、「お前を殺しても病気で死んだと報告すればそれまでだ。」刑事は罵声を浴びせ、こん棒で殴り足蹴りに。気を失うと意識を戻すため尖ったピンで手足を突いたりと、調べは凄惨なものだったことが後に知られることとなった。そうしてついに、正常な意思と判断力を維持することに限界をきたし、自白はテープに録られた。鬼畜と恐れられた静岡県警・紅林麻雄(くればやし)刑事のDNAを受け継いだ猛者連中の所業は今となっては追及できず無念極まる。
作成された膨大なでっち上げの調書は全45通。当初は1通のみ開示された。捜査機関のシナリオを反映させた作文に信憑性は無い。残り44通は出し渋っていたが後々、命令によって開示される運びとなった。同様に取り調べの様子を記録したテープも秘匿、自白のものだけが証拠として提出された。
えん罪
当初の調書では犯行時の着衣はパジャマであり、血痕が付いていたとされていた。その後、1年以上経った後に、今度は味噌樽から血痕が付着したズボン、シャツなど5点の着衣が発見されたとの発表。弁護団の追及に犯行時の着衣がスリ変わった。血痕は後のDNA鑑定により袴田さん、被害者いずれのものでも無く、捜査機関による捏造を疑う余地は無いとされている。そして40年も経って当局は新証拠だと言う新たなズボンを出してきた。これについては袴田さんの体形が変わったことを考慮しても、とてもではないが細くてはけない物であったと言うからお粗末を通り越して笑うしかない。。とにかく警察・検察は結託して有罪を勝ち取るべく、あれやこれやと一層躍起になった。かざした権力の拳を下げることはもはや許されず、次第にチグハグな状況は弁護団に崩され追い詰められていった。しまいには裏付けの信憑性を取るため虚偽の実験もいとわず行い、裁判所に平然と虚偽の報告書の提出をしていた。これを悪行と言わずして何と言おうか。権力の蛮行はいつの時代にあっても何故か罪に問われることは無い。理不尽なことだ。
先般、静岡地裁における差し戻し審後の会見。判決は無罪でも検察としては、それを認めたわけでは無い。検察庁トップの口からはこんなニュアンスがにじみ出ている。証拠捏造と断罪されたことには相当腹に据えかねたらしく「到底承服できない。」と、かなりご立腹の様子だが、強気の発言は、もはや見苦しい。要はメンツを潰され敗北したことが悔しくて仕方がない、と言ったところが本音のようだ。一見、冷徹だが、いら立ちの湧き上がる表情が見てとれる。辛酸を理解できない偏向的で気位の高い人間と言うのは本当にやっかいなものだ。この方はエリート街道を歩んでようやく手にしたトップの座ではあろうが、それよりも何よりも、いやしくも人としてどうなのか、胸によく手を当ててもらいたい。自分らの先輩連中が犯した所業を認め、心新に機する気持ちが無ければ、変わらないであろう検察に期待できるものは何も無いと進言したい。
令和6年9月26日。静岡地裁、差し戻し審判決まで要した歳月は58年。一方、この期に及んでも検察上層部にあってはねつ造とされたことで直ちに控訴すべしの機運が少なからずあったらしいが、まったくもって言語道断。控訴期限2日前、断念は検察側にとって断腸の極みであったろうが、そこには間違っても”反省”などと言う言葉はどうやら存在しない。
袴田巌さん姉さんともども、どうぞ穏やかな余生を送れますよう。