
4リットルのウィスキーペットボトル6本と他、清掃用具一式をカートに載せて長い坂道を二人でヨイショ,一歩、ヨイショ,また一歩。背を折りながら歩く様は、さながらミニ登山と言ったところ。息も絶え絶えの中、脳裏をよぎるのは、「あと何年こうして来れるだろうか。」息子らも遠方にいるし、さりとて業者任せにするのは気が進まない。最近は自身の健康状態から弱気な思考にばかり走ってしまう。。デッキブラシで床石を一心不乱にゴシゴシゴシ。作業の合間、かねがね思っていたコトをヨメちゃんに恐る恐る相談してみた。「この墓、造って15年しか経ってないけども、そう遠くないうちに墓終(じま)いってどうかなぁ.....」えっ!「なに突然。お骨(コツ)どうすんの?」ん~「オレもアンタも含めて皆、海洋散骨ってことでダメかねぇ。気仙沼港から洋上散骨船出てるって言うし。」...そう考え初めたのは、菩提寺の本檀家と併せて墓所の墓檀家を維持する上で、アル問題が出始めたことから近年、その思いに腐心していた。また、永劫(えいごう)にわたって墓の維持と、またがる檀家たる身の置き方を考えた時に、こちらには戻らないであろう息子らの精神的、経済的負担になることは明白。であれば、いっそのことと一人思い悩んでいた。─ヨメちゃんに話をつづけた。「石原裕次郎や石原慎太郎も洋上散骨したんだってさ。」へぇ~、「でも、あたしは海の底ってどうかなぁ、溺れる感じがして苦しそうだなぁ、、」...え~と、骨💀💀だけなんで苦しいことは無いと思いますが、、、「気持ち的にだよっ!##」ハイすいません、ごもっともで。。

”生かされて生きる”・・人は天地万物の慈悲によって生かされ候らえば、天命にして一心、これ汚(けが)れなく生きるのみ
