
懇意にしてもらっていた大好きな先輩が急逝したことを新聞の訃報で知った。40年の付き合いの中、若い時分には随分と飲み歩きハメを外して遊び呆けたことが、きのうのことのように思い出される。.....20代半ば深夜のできごと。記憶はやや断片的だがおおよそ次のような感じ。。先輩率いるロックバンドのライブ打ち上げの後、何件ハシゴしただろうか。もう帰りたくも、最後はセンパイとふたりでグデングデン。千鳥足よろしく、道すがらの公園ベンチ。ヘベレケになってセンパイとベンチでそのまま爆睡。....ポツ,ポツ,ポツ、顔を濡らす雨に目を覚ました。足元がおぼつかない小生、まだ横になっていた先輩の背中にふざけて覆いかぶさった。その瞬間、急に気持ち悪くなり、こともあろうに先輩の頭に、ヴプッ、オエーッ!!!!!!!!ゲロッピを勢いよく噴射してしまった。。小雨が降りしきる中、センパイは声にならない雄叫びを上げながらシャツを脱ぎ捨てすぐさま公園の水道に駆け込み蛇口を全開にして頭をジャバジャバ。ゲロまみれになったTシャツは、もう要らないと金属メッシュのゴミかごに丸めてポイッ。代わりに小生のシャツを着てもらい、なんとか許しを請うた。ハダカになった上半身は夏とは言え寝起きと雨が重なり肌寒く、ハァ~クション☆彡。普段は声に出して笑うことが無い小生だが、このときばかりは、頭をこづかれながらトボトボ、コトのてん末を大笑いながら家路に向かった。。夜も更けた真夏のアノ出来事は未だ忘れられないホロ苦い思い出だ。──ある時、スキー仲間でもあった気立てのいい女性を先輩に紹介した。、、のも束の間、速攻!!!!!!ゴールイン。オイオイ大丈夫かいなと、要らぬ心配をよそに、その後は仲むずまじく3人の子にも恵まれ今日まで終世を添い遂げた。。。3.11震災を機に商売を畳んでからは先輩の体調が思わしくないことを知って気がかりではいたのだが、、ここ数年は疎遠にしていたことを今更ながらとても後悔している。

きのうのこと・・「写真撮っていい?」、「どうぞどうぞ遠慮なく。」....てな訳でセンパイ愛用のギター、YAMAHAのレスポール。弦に挟んでるピックがなんだか物哀しい。センパイは(内輪で)気仙沼では無双のジミー・ペイジ(レッド・ツェッペリンのギタリスト)と呼ばれていた。センパイが奏でる天国への階段(レッド・ツェッペリン)、イントロのアルペジオと曲後半のリードソロは思い出しただけで.....泣けてくる。昔は小生もグレコのベースをチョコッと、かじっていたが、「ヘタッピなオマエとやると調子が崩れるからやりたくない#」と、音楽に関してだけは悲しいかな、テンデ相手にしてもらえなかった。そう言えば、バンドとしてはハードロックをやっていたセンパイだったが、車内で聞くのはセンチにも”チューリップ”か”オフコース”が定番でクルマは確か、いすゞの真っ赤なスポーツカー”117クーペ”だったかな。カセットテープをガチャッと入れて、♪~♫~あ~~メッチャ昭和だぁ、センパイの口ずさんでいた横顔が浮かんでくるわぁ。ムカシのことは自分でも感心するくらいにホントなんでもよく覚えているのに、今や瞬間健忘脳よろしく、スグになんでも忘れてしまう。車を運転していても「アレ!?オレ、どこに行くんだっけ?...」なんて、しょっちゅうだし。しまいにはヨメちゃんに「アンタそろそろ免許返納したら?」なんて言われる始末ダシ。トホホ
.。oOセンパイ、ちょっとだけ待ってでけらいん。オレが逝ったら、まだグデングデンにやっぺしね(涙).。oO
どうぞ安らかに...合掌