亡き父の生家である花泉町の菩提寺にて法要。。子供の頃、本堂はいつも格好の遊び場と化していた。木魚をポクポク、太鼓をドンドン、ドタバタ走り回って、、それを眺める僧侶の祖父.英運(えいうん)は怒ることも無く、いつもにこやか。今思えばなんとバチあたりなことをしていたことか。言葉数の少ない祖父はどんな思いでいたのか、今となっては知るよしも無いが、孫たる小生には特段甘かったことは間違いない。そんな祖父が子供の頃はとても貧しく冬にもかじかむ手でワラジを編み、収入の足しにするようなあの名作”おしん”さながらの生活であったと、のちのちに聞いた。慈悲深い寛容な祖父の心持ちは、幼少期におくった厳しい暮らしの反動で形成された言わば心の反面教師なのかもしれない。。さて、母院,七回忌、父院,十七回忌併修。自身での務めはいつまで果たせるだろうか、またその先、離れて暮らす息子らのことを思えば託せるか否か、成るようにしかならないとは言え心配は尽きない。次の回忌法要併修は6年後。..命ある今に感謝。─合掌.南無遍照金剛
〔祖父〕真言宗智山派・東光山醫王寺,第十六世・権中僧正法印,菊地英運・世寿九十四歳天上