気仙沼のふかひれ屋さん 気仙沼のふかひれ屋さん
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記憶

遠いムカシのことは何かにつけてよく覚えているのに今日きのうのこと、ついには今さっきのことと、何でもかんでもすぐに忘れてしまう。困ったものだ。時に認知症の始まりなのではと思ったりする向きもあるが、恐らくそうではないようだ(たぶん)。話の流れでひとつ記憶をさかのぼってみたい。断片的にだが物事の記憶は4才頃まであり、5才ともなると、様々なシーンを思い出される。ひとつあげるとすれば忘れもしない恐怖の経験。。。保育所にいた時、耐え難い腹痛に襲われ(急性虫垂炎で)即日に手術の運びになった。手術室に連れられて入るや、その”おどろおどろ”した冷たい空間に尻込みして大泣き。手術台では大暴れするので手足を抑えつけられ、大泣きを通り越してギャン泣き、そしてついにはゲロッピ。後に看護婦さんが言うには、「かぁちゃーん!!!!、たすけてー!!!!!」と何度も何度も絶叫したそうな。。涙で目がにじむ中、大きな丸いライトにワナワナ震え、じきに(麻酔で)意識は無くなった。今日まで手術は、なんやかんやと6度の経験があるが、この幼少期の手術時のことがトラウマになってか、その後においては必ずと言ってよいほど手術台に横たわると体が硬直したり、急激に血圧が下がって麻酔をかける前に意識を無くしたりと、”ノミの心臓”がぴったりの小生.....ビビリが過ぎてマジしんど。

コレコレ、まさしく昭和のこんなやつ。恐怖におののいた頭上の手術ライト、5才の小生には得体のしれないバケモノに思えた。

記憶ついでにもうひとつ。先日、地元紙に恒例行事である小学校対抗市内体育祭の記事が載っていたのだが、毎年この記事を目にする度、ホロ苦い記憶がよみがえる。

小生の母校は3.11震災で廃校となった南気仙沼小学校。時は6年生。各クラスで体育の時間に前述の体育祭出場を賭けた選考会があった。一発勝負のタイムトライアルなので有無を言わさずそこですべてが決まるというもの。ところがその日、小生は運悪く熱を出して学校には行けずじまい。くしくも一年間の内、学校を休んだのは、たったその一日だけ。いくら日頃の行いがよろしくないとは言えあまりに無情の仕打ち。短距離枠は100m走2名と兼リレー4名。当時の小生、勉強はまるっきしでも唯一、脱兎のごとく(逃げるウサギのように速いこと)、足が速いことにはちょっとだけ自信があった。( ・`ω・´)v...前年、5年生の時も理由は覚えていないが出場する機会には恵まれなかったこともあり、6年生の最後にかける思いは並々ならぬ思いを持っていたのだが悲しいかな(涙)。放課後に行われた練習はと言うと、今ひとつテンションが上がらない補欠での参加。内心では、どうせこんな練習したって出れるわけでもないしなぁ.。o○..ある時、身も入らずダラダラやっていた小生の様子を見かねた先生が大声で激怒した。「オマエがいるとみんなのジャマになる、もう帰れ!#、明日から来なくていい!#」先生には気が入っていないことをしっかり見抜かれていた。そして大会当日。活躍するみんなの姿がまぶしく、そして、うらやましく思えたことがつい、きのうのことのように鮮明によみがえる。忘れがたい、そして反省すべく切ない出来事の記憶は毎年、記事を目にする度、脳裏に浮かぶのであった。。それから時を経て、今は仲良いクリニックの先生から「キクチさん、クマに出くわしたりしても思いっきり走ったりしたらダメだよ。心臓、パ~ンでポックリ💀逝くかんね。」なんて、笑えない冗談を言われる始末だ。。