気仙沼のふかひれ屋さん 気仙沼のふかひれ屋さん
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海神様(かいじんさま)

この節、気仙沼の風物詩に定着した海神様。希望する家々、事業所などを数十件と回る。行く先々に合わせて、健やかな子供の成長を願ったり家内隆盛、福万来、息災厄払い、商売繁盛、大漁祈願、100歳満願成就等々、何でもござれ。─数十年前、コトの言い出しっぺは公私にわたっての指南役、市内、コヤマ菓子店主(あるじ)の”故・小山隆市”師匠であった。ある日、小生より2学年上のスキー仲間、故・金森政明、故・石黒喜一郎の両先輩と小生の4人で酒を酌み交わす中、コヤマ師匠が「面白いことあるがやらんか!?」の一言がきっかけとなりアレヨアレヨと言う間に気仙沼版”なまはげ”が3,4人でスタート。『海神様』と命名したのは何年か後のことだったと記憶する。そんな中、小生はと言うと、はっきり言って初めから乗り気ではなかったので参加にあたっては何かと理由を付けてかたくなに抵抗していた。先輩方の命令に逆らうのは忍びなかったが、一度行動を共にしたら最後、抜けられないと思い、拒否すべく拝みまくった。その後は道具の保管と雑役を時折引き受けたが、小生のやる気の無さから尻つぼみに御役御免と、なった。─コヤマ師匠、石黒先輩、金森先輩。先導してこられた3人の先輩方は後々の隆盛を見ること無く無念にも若くして天界へ先立った。今やすっかり世代が変わってコヤマ師匠の息子とその友人・後輩・知人など総勢15人ほどが立派に思いを今に受け継いでいる。今後も時代を超えてバトンが紡いでいくことを陰ながら願ってやまない。

面、衣装、小道具等々結構な量。小生が保管係で一式預かっていた時には”無諸法”にもウチの子供たちにとって格好の遊び道具になっていた。今思えば申し訳ないことをしたと猛省している。あの世に逝ったら、いち早く先輩方の元へ詫びに馳せ参じたい。

"面”に”入魂”の祈祷をいただいたら、イザ出陣。

”面”を付けた途端に皆、人間ではなくなる。海神様になりきると言うか、神ってると言うか。決まった所作もある訳ではないが、各々立ち振る舞いや低音のうなり声がいかにも、と言った感じで本家、秋田のなまはげに勝るとも劣らない。胸のホタテは海神様のあかし。

時に年寄りには優しく語り掛け耳を傾け、人生の労をねぎらう。時に子供には、ほめたり諭したり励ましたりと。立ち去る前には海神様と交わした約束事の証として小さな『鈴』を手渡す。子供は大人になっても鈴を目にするたび、この日のことを思い出すに違いない。海神様の心根は優しさにあふれている。決して驚かせたり泣かせることが本望ではない。あの時「おもしろいことを。」コヤマ師匠のひと言が、こんな形になって継承されるとは、熱量に頭が下がる。。対して当時、駄々をこねまくった自分が本当に恥ずかしい。